TVを見ていて日米の政治的話題には必ず、風にたなびく星条旗がカッコ良く映し出されるが、日本の日の丸はどうもセンスが落ちる気がしてならない。
でも最近、サッカーの活躍でサポーターがどでかい日の丸の旗を応援席一杯にかざしているのを見ると、世の中変わってきたのかなと思う。また、日本共産党は旗の使い方が小まめでうまいと感じる。あとは,建設会社などが本社事務所前に3つのポールを建てて、日の丸と安全の緑十字の旗と会社の旗を建てているのをよく見かけるが、これは建設業は国づくりという尊い仕事をしているのだというプライドの意思表示なのか?まあそんなことはどうでも良いが・・・。
ひと頃おおはやりだった農協の海外ツアーのご一行が添乗員の持つ旗を先頭にしてぞろぞろ歩く姿が話題にならなくなったような気がするが、実体はどうなっているのだろうか?このあたりの事については詳しい観光業の某U先輩に今度会う時にでも聞いてみようと思っている。
しかし、大学などの校旗だけはいつまでも未来永劫、卒業生の心をとらえて離さない凄い力を持っているのである。母校の大きな旗が応援団員によって持ち上げられた時の感動はおそらく何物にも代え難いほどのありがたみがあるのである。
特に野球の応援でのエールの交換の場面は、学生時代への郷愁なのか、いや絶対にあの時代に戻ることが出来ないからなのか、グッと懐かしさがこみ上げてきて、涙もろい年になったせいではなく、万感の思いが迫るのである。
ある人の言葉を借りれば、自分自身の中の内なる「少年」に出会っているからなのかも知れない。何かに無我夢中になったあの感覚。それは無目的で無意味で無価値なもので、それだけに純粋で透明なものであり、それは“軽やか”な感覚であった。体も軽かったように・・・。大人になると、物や人間や情報をかかえ、体も重くなったように心も重たい。その重量感から不安や孤独にとりつかれるのだと・・・。
今年の早慶戦は、お祭りだからということで許してもらい、堂々と慶応側へ座って懐かしい雰囲気を楽しませてもらった。そして、自分の内なる「少年」に出会うことが出来た。早稲田の父母会の某Sさんから携帯で脅かされたので
最後のエール交換の時に義理ではなく公平な気持ちで早稲田側へ行き、男っぽい応援団員に抱かれた早稲田の校旗の下、早稲田の優勝を祝し“都の西北”と“紺碧の空”の大合唱が神宮球場に響き渡る光景を「少年」の目でみている自分であった。
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