| 「鈴木さん!いよいよ今日が市内駅伝ですよ。江野監督が早朝に一年早い青春20歳のお祝いの赤いチャンチャンコならぬ赤いTシャツを届けてくれ大感激しています!精一杯走ろうと思います。暇があったら応援ヨロシク!」という“ミスター青春”こと稲原都三男さんからのメールだった。この日は第53回東松山市内駅伝大会の日だったのである。
稲さんは来年3月でいよいよ定年退職を迎える団塊世代真っ盛りと言える人である。名前を聞いて以来かれこれ30年の年月が経っているが、酒を酌み交わしながらその人間性に触れて喜怒哀楽を語り合えるようになったのはここ数年であるが、私にとっては人生の大先輩であり心の機微を語れる数少ない人である。しかも会社勤めの身でありながら、街の政治活動からまちおこしボランティア活動、文化活動そしてスポーツ活動にとその行動の広さと信じ込んだら一人でもやり通すという信念の強さには敬服するばかりである・・・。
特に、文化活動に於いては『東松山市民の会』を設立して地域文化の一翼を担い、この会から多くの町のリーダーを輩出する。盟友の故小林茂雄氏の会『雄志会』を設立して、今は亡き小林氏の理念を後世まで語り残したいという思いから『春蘭忌』を企画し、格調高い講演会を毎年5月に開催し今年で第9回目を数えている。
また最近になるが、団塊世代に若さと気力を蘇らせようと『比企青春の会』を発足し、40歳を“青春元年”とする考え方を世間に問いその啓蒙に孤軍奮闘している姿も稲さんならではのものである。
今回の駅伝は、37歳から走り始めてから22回連続出場だというからこの人の意志の強さは筋金入りである。そして、<比企一周松高駅伝>では過去20回、30回、40回の記念駅伝に於いてOBチームのアンカーとしてゴールテープを切っていると聞く・・・。
そんな稲さんの為に後輩達がわざわざ作ったチームの名が【燃E~ドン還暦祝】で仲人をした高田夫婦とその息子の虎太郎君と一緒に青春20歳の真っ赤なTシャツオジサンは持病の腰痛も何のそのの勢いで軽快に3区を無事に走ったのだそうだ。私は何を置いても見たかったのだが叶わず、その勇姿は高田モヘイ君のレンズがしっかりと捉えていたのであった。顔と頭髪はそれなりの年を感じるが、一見、筋肉質に見えるカモシカのような足は確かに松高OBアンカーの実力を証明しているかのようである。
稲さんにとっては今年の2006年は生涯忘れられない年になったのではないかと察する。人間20歳になると“一大決心”をして大人の仲間入りをするのだが、二度目の“青春20歳”を目前にして大きな決断をした稲さんの第二の人生は正に総仕上げのまとめに入るのか?それとも新たなる世界に挑戦し続けるのか?
今度、熱燗をやりながらじっくりお聞きしたいと思っている・・・。
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