“長岡大花火”視察紀行〜その1

2008.10

今年の夏も暑くなった!全国各地で夏祭りと花火大会が豪華さを競うように開催されているのだが、“花火”といえば新潟の長岡を見ないと始まらないということなので、縁あって書道塾の面々で夏休みがてら3台の車に分乗して1泊2日の視察に出かけたのであった・・・。

 

新潟大地震の影響で長岡周辺は関越道が方々で波打っていて道路工事中の箇所が多く、走りながらも地震の激しさを思い知らされるようだった。そして地震の後は水害に襲われるという本当にかわいそうな長岡周辺の人達だったのである・・・。

一路視察団は見附市の某塾員の生家へと向かう・・・。そこを訪れて驚いたのは某塾員の先祖が今の日展に何回も入選しているということで、邸内にある錦鯉の泳ぐ池の畔に建立された“筆塚”の前で書道の上達を願い記念撮影をしたのが最初の仕事となる。絵筆も書筆も筆には変わりがないので全く奇遇であった。そのお宅も地震でやられ、まだ部屋の中の壁が一部で崩れたままであったが、やはり地方の大きな屋敷であり、広い縁側と繋がった離れ風の部屋が庄屋を思わせる風格を感じさせ、広い部屋には画家の描いた大きな絵が飾ってあるのが印象深かった・・・。

そこから10分程でJR見附駅前の角屋旅館にチェックインし、電車で15分の長岡駅へ出てから、花火会場のある信濃川を目の前にする花火観覧会場となる結婚式場の3階屋上を目指す・・・。電車内は浴衣姿の高校生や家族連れなどの地元客で一杯であり、戦後から始めて60年にもなる大花火大会がいかに長岡周辺の人達にとって生活に密着した大きなお祭りになっているかということが肌で感じられた。2日間で60万人の見物人が繰り出すだけのことがあり、駅から信濃川までの約5キロの道をだいたい1時間もかけて歩いたのだが,視察団の幹事長からは何の説明もなく、ただ行く場所も分からず暑い中を歩かされたので、シングルゴルファーの団長などは途中で道路の縁石に座り込んでしまうくらいの強行軍となり、皆タクシー代は持っていたのであるが、この時ほどタクシーが羨ましかったのは生まれて初めてであった・・・・。

そして夜7時過ぎ、待望の観覧会場について汗を拭いビールで乾杯をした時の嬉しさは近年に無い感激となった。この強行歩行を仕組んでくれた幹事長に対して、後日“思い出作りの名人”という称号を与えようという話が出たのには人間の勝手さを知らされたものだ・・・。

新潟地震の復興を願い信濃川の大河川敷の夜空に打ち上げられた素晴らしい大花火の見事さに酔いしれながら一行は様々な思いを胸にしていたのであろう。

東松山花火大会との比較、地震に見舞われながらもこれだけのイベントを復活させた新潟の人達の心意気と人間の強さ、この花火の美しさを何とかカメラに納めたいと必死の人、携帯電話カメラでいとも簡単に綺麗に撮る人、帰りの足が心配で好きなだけ飲めなかった人、弁当が揚げ物ばかりでさっぱりしたつまみが欲しかった人、このビジネスでどれくらい儲かるだろうかと気になった人等々・・・

百聞は一見に如かず!長岡の花火はおそらく日本一の花火といっても過言では無いだろう。帰りはこの会場のマイクロバスに乗れ、長岡駅最終電車で見附駅に到着、旅館で深夜まで反省会は続いたのであった・・・・。
<その2に続く>