『本庄早稲田への想い』

2005.5.20

新緑の眩い1年で最良の季節を迎えながらも、伝統ある早稲田大学本庄高等学院の父母会長という責任ある立場に就く重圧からかいつもとは違う複雑な心境の昨今であります。どうか皆様1年間宜しくご指導を賜りますようお願い申し上げます。

深緑の校舎
 
私が本庄早稲田キャンパスを初めて訪れたのは息子が中学一年の時でした。家内と2人でドライブの帰り、「どんな所かちょっと見てみようか?」ということで立ち寄ったところ、素晴らしい自然環境の中にあることに驚いたものです。
「こんな山の中じゃあ、きっと敬仁は嫌がるだろうね!」と家内は呟きながら、「本庄早稲田に入れれば大学受験の心配をしなくていいし、いいよなあ。」と2人で話した記憶があります。あれから五年の歳月が流れようとしております・・・。
家内は早稲田の合格も知らずに息子が中学二年の11月に病に倒れたのでした。それ以来すっかり家の中に穴があいてしまったような寂しい状況の中にありましたが息子は自分に打ち勝って念願の本庄早稲田への合格を果たしました。
その時、久しぶりに家の中に明るい喜びが溢れたことを忘れることはないでしょう。これこそ天国から家内が悲しみを乗り越えて頑張った息子へ大きなプレゼントをしてくれたのだと思いました。

入学して直ぐに私は担任の山田先生を訪ねて母親のことと中学時代にやってた野球を何とか早稲田でもやらせたいという思いを伝えました。しかし、通学時間の制約等から残念ながら野球部での活躍は夢に終わりましたが、父母会の役員をお引き受けすることになったのでした。

たまたま東松山の松中のPTA及び大妻嵐山高校の父母会の役員を経験したこともあり、気楽に引き受けたのですが、いざ初めての父母会の幹事会に出てみると、名門早稲田のプライドと重みなのか非常に堅苦しい居心地の悪い雰囲気を感じ、「ああ、引き受けなければ良かったな!」と正直その時思いました 新役員への笑顔と明るさのホスピタリティをその場がもう少し持っていたらそんな思いを抱くことはなかったのでしょうか?

そんな中、1年生の新役員の中でひときわその場を仕切って頂いた明るい女性がおられ、その某末松さんという方に「では、あなた副会長をやって頂けますか!」と突然の指名を受け、蛇に睨まれた蛙ではありませんが、「はあ、はい!・・・」と一瞬の生返事をしてしまったのが運の尽きでこの文章を書く羽目になったのであります。縁というものはほんとに不思議なものです。しかし、人生というのは人との出会いから全てのことが始まるので、色々な方々との出会いを大切にして『早稲田人脈』が作れる幸せに感謝しながら父母会活動を楽しくやって行きたいと思っております。
「男は黙ってサッポロビール!」という有名なキャッチコピーがありますが、最近、思いますのは、高倉健ならそれで通用するかも知れませんが、私のことは誰も知らないのだからもっと自己宣伝をして、自分を理解してもらおうという能動的努力が自分には今後特に必要であると感じております。

父母会活動を通じて、かわいい息子達のために何をしてやることがベストなのか? を皆様方と一緒に考えて結論を出して行くこと。そして、個人的にはこの1年でどれほど自分自身を成長させることが出来るものか? という2つが大きな課題であると思います。そして、さまざまな人々との出会いの中でいつの日か『本庄早稲田三田会』なる会が出来たとしたらどれほど素晴らしく楽しいことでありましょう。
早慶戦に心からエールを送る早稲田大学本庄高等学院の父母会長となってしまった塾生OBの独り言でありました・・・。